「ごめんね……ごめんね……」
  夕暮れの海に向かい、一人つぶやく。答えはない。当然だ。誰が許してくれるのか。いつになれば許されるのか。わかっている。誰が許しても、私は私を許さない。
  甲板に夫がやってきた。少し肩で息をしている。捜したのね、悪いことをした。でも、それも無理はない。私までいなくなったら、この人は生きていられないだろう。
「中に入ろう。波も荒いし、こんなところにいては風邪をひく」
  断りもせず船室からいなくなった私を咎めもせず、やさしく微笑みかけてくる。
「いいの。ここにいさせて」
  海にさらわれてしまったあの子。もしかしたら、海をずっと眺めていれば、あの子がひょっこりと現れるかもしれない。そんな望みを捨てられない。
「もう少ししたら中に入るから。あなたも休んでいて」
  少し訝しげな顔をしたけれど、わかったと頷いて船の中へ帰っていった。
「ごめんね……」
  誰もいない海に向かって再びつぶやく。

  今でも、鮮明にあの日のことが思いだされる。砂浜にいて、漁に出た夫が帰ってくるのをあの子と待っていたら、ふと、視界が暗くなる。周りが一瞬で日陰になった。見上げると、巨大な波はそこまで迫っていた。
  あの子の手をつかんで、近くの木にしがみつく。次の瞬間波に飲まれ、私の手は行き場を失った。確かに、つかんでいたはずなのに。確かに……。
  生まれ育った島を出る決心がつくまで、しばらく時間がかかった。あの子がいなくなった場所を離れると、それだけ会える確率が減ってしまう気がしたし、なによりそうまでして生きてどうするのか、わからなかった。
  死んでもよかった。島と運命を友にするのもいいかと思った。
あれから何年も経ち、島を出る最後の定期便の出航の迫った日、夫が私に決心を語ってくれた。私には選べなかったから、少し救われた気がした。この人は、しっかり前に進んでいるんだと、少しホッとした。

  再び海を眺める。
  もう島は見えない。四方を見渡しても、水平線しか見えない。空を見上げると、海鳥達が軽快に船を飛び越していく。まるで何にも縛られず、自由そのものだ。きっと彼らは、後ろを振り向くことはしないのだろう。
  ふと、隣に人がいるのに気がついた。いつからいたのだろう。私と同じように手すりにつかまって海を眺めている。
  男の子だった。あの子と同じくらいの。
  思わず息を呑む。あの子であるはずはないのに。思わず話かけてしまう。
「……ぼく、こんなところにいて、ご両親が心配するわ」
  少し声が上ずってしまった。男の子は、何も言わずに私の目をじっと覗いている。どうしたのかしら?
  私の方を見るのを止め、再び海に向きなおす。海を見つめたまま、つぶやく。
「お父さんとお母さんは死んじゃった。誰も心配してないよ」
「ごめんなさい……」
「いいよ、もう、しばらく前のことだもん」
「そうなの……あなた、わたしと一緒ね。」
「おばさんも、お父さんとお母さんが死んじゃったの?」
「ううん、違うわ。子供がね、波に流されちゃったの。」
「そっか、悲しかったね」
「ええ、そうね。あなたもね」
  お互いに海を見ながら会話を続ける。傷の舐めあいかもしれない。でも、何か穏やかな時が流れた。

  聞くと、大陸に渡ってから、施設に入れられることになっているらしい。島には他に親戚がいなかったようだ。
  私は、自分で思いもしなかった言葉を発していた。
「ぼく、おばさんと一緒に来る……?」
  私に島を出る後押しした理由はもう一つあった。どうやら、新しい命が私の中にあるらしい。この男の子は、いいお兄ちゃんになるだろうか。

あの日の夫の一言が思い出される。
「一緒に生きよう……」
  これから私に何ができるだろう。未だ答えはでない。でも、それでも、私が何もしなくとも明日はやってくる。

人生は続く。