「まったく、うるさくてかなわんわ」
  ダダダガガガと耳慣れぬ音が響いている。止む気配がない。六畳間の和室、カーテンを開くと土気色のビルが無数に立ち並ぶ。建物にさえぎられ、朝日も、地平線も見えない。空は灰色のもやがかかっているようだ。今日は晴れているのか? それもよくわからない。
  目線を下げると、道路では工事の作業員がせわしなく動き回っている。道路をほじくっているようだが、何をしているのやら。
「ここはどこなんだ……」
  誰に言うともなくつぶやく。
「お義父さん? 起きてるのー?」
  嫁の叫ぶ声がした。
「おお、起きとるよ」
「台所が片付かないんで朝食食べてくださいます?」
  ふすまを開けるとすぐに台所だ。さらに奥には子供部屋、居間、息子たちの寝室が所狭しと並ぶ。廊下もない。狭い空間に部屋が密集していて、息が詰まる。
  島では息子夫婦と別の家に住んでいたが、都会ではそんな財政的余裕はない。働き手ではないわしは肩身が狭く、文句も言えない。
  今までは近隣の友人の助けもありなんとか一人で暮らしてこれたが、ここではそういうわけにはいかん。息子は今日も朝から仕事探しだ。
  テーブルを見ると、一人分の朝食だけがポツンと置き去りにされている。嫁のイライラもわからなくはない。
「武志はどうした?」
「とっくに学校行きましたよ、朝練があるとかで」
  孫の武志はサッカー部に入部したらしい。子供は環境に適応するのが早い。自然だらけで垣根のないところを走り回っていたのに、よくあんな狭いグラウンドで耐えられる。
「あとで散歩にでてくるよ」
  冷たい味噌汁をすすりながら、嫁に一応報告しておく。
「迷子にならないでくださいね」
  それはこちらも願い下げだ。捜索願いでも出されたらかなわん。ますます居心地が悪くなる。

  食事も終わり支度をして外へ出ると、ジリジリと日差しが刺すようだ。もうすぐ夏も終わるが、なぜこんなに暑いのか。島では夏も海風が家まで入ってくるから、気温が暑かろうがそれなりに快適だった。
  熱で照り返したアスファルトから立ち上る蒸気で空気がゆらいで見えた。周りには何百件もの家が入った同じ形の建物が立ち並ぶ。団地というらしい。
少し歩くと、よくわからん英語の看板の明るい店が見えた。店内を覗くと、本やら食料品やらがギッシリと並んでいる。これがこんびにと言うものか。二十四時間営業しているとか。考えられんな。夜遅くに何が入り用になるのか。夜中は寝るもんだ。ブツブツと文句を言いながら、再び歩みを急ぐ。目的の場所は、家から三十分ほどのところにあった。

  神社の境内に腰掛ける。何十段もある石段を登るのはつらいが、回りを木々に囲まれた静かな空間がそこにはあった。木漏れ日が心地よい。涼しげで、人もいない。現代人は平日の昼間からお参りに来ることはないのだろう。
「ここだけがこの町で落ち着く……」
  わしが都会を離れてから四十数年。まさか戻ってくることになるとは思わなんだ。小さい頃は、それなりに都会での暮らしを楽しんでいた。この便利さを覚えてしまったら、むしろ田舎で暮らすのを嫌がっただろう。しかし、年をとるにつれて、この人の多さ、忙しなさ、息苦しさに耐えられなくなった。
  都会にいてよかったことは、婆さんと出会ったことだろう。田舎で暮らすと言い出したときも、文句一つ言わずについてきてくれたな。その婆さんももういない。とっくに病気で死んだ。でも幸せだったろう。孫に、皆に看取られてあの島で死ねたんだから。それに引き換え、わしはなんだ?

  ふと、人の気配がした。見ると、真新しいランドセルを背負った女の子が石段を上がってくる。
「やあ、こんにちはお嬢ちゃん。」
「こんにちは、お爺さん。」
「君みたいに小さな子が、神社に用事でもあるのかい?」
「ここ、わたしのうちなのよ。」
「なるほど、そうか。……ここはいいね。静かで、とても落ち着くよ。」
「お爺さんもそう思う?わたしもここが好きよ。騒がしいのは嫌い。わたしここの子でよかったわ。」
そのませた物言いがおかしく、思わず微笑む。こんなに年が離れていても、同じように感じるものだな。
「じゃあ、さようなら、お爺さん。」
「ああ、さようなら。」

  ここでの暮らしに、慣れるべきなんだろうな。さっきの静けさを愛す女の子は、この都会の喧騒で何十年も生きるのだ。明さんは元気にしてるかな。お孫さんも頑固なようだから、今でも島で暮らしているんだろう。

  わしがあの日求めたものは、もう戻らない。