「ふう……今日も暑いなあ」
  一年中夏みたいなこの島の強い日差しを受けながら、私は一人つぶやいた。どこかでセミの鳴いている声が聞こえる。それが暑さをいっそうあおってる気がする。
「やっぱり自転車で来ればよかったー」
  前に拓に運動しないと年をとると言われたことが気にかかり、最近は徒歩で移動をすることが増えている。まあ体にはいいけど。
  道端からキンモクセイの香りがした。見ると小さくてかわいいオレンジの花が咲いている。
「そっか……もう秋になるんだ」
  それなのにセミが鳴くなんて、ほんとわけのわからない気候だ。寒いのは嫌いだけど、暑いのがこれだけ続くのはかんべんしてほしい。わがままな私。
  この丘を登りきると拓とおじいちゃんの家がある。私のもともとの家は津波で沈んでしまった。今はもう少し高台にある叔母の家に一人で住んでいるけど、そこもいつまでもつか。拓にいつも越してこいって言われるけど、なんだか照れくさい。それに、一人の方が気楽な気もする。
  でも、こうして一日に一回は二人の住む家を訪ねることにしている。

「こんにちはー」
「やあ、優ちゃん、いらっしゃい、スイカが冷えてるよ」
「ほんと? へへ……好物なんだ」
  おじいちゃんは漁を引退してからも、小さな畑の面倒だけは見ている。最低限必要な野菜とか、果物とか。スイカは特に必要なものではないんだけど、私の好きなものだから育ててくれているらしい。とっても優しい人だ。

  今日は自分でやろうと決めていることがあった。
「ちょっとでかけてきまーす」
「おーい、優、どこ行くんだよー」
「潜ってくるー」
「そっかーあんまり無理すんなよー」
  たまに、私の家が見たくなる。
  海の底に沈んだと言っても何十メートルも海面が上がったわけではないし、海が真っ青で透き通ったこのあたりでは、潜らなくても見えることもあるくらいだ。でも私は結構素潜りは得意な方だし、今日は潜ってみようと決めていた。
  海岸に立ち、大きく息を吸い込んでから思い切って海へ飛び込む。

  そこには町があった。
  水の中でユラユラと揺らいで見える町並みは、どことなく淋しげで美しい。その中に見つけた。なにも変わらない。あの時のままだ。私が生まれ、育ってきた家。私がつけた柱のキズから、ちょっと名前の削れかけた表札まで、あたりまえだけど、変わらない。
  息が続かなくなるくらいまでぼんやりと家を眺めたあと、私は海面へと上がっていった。

  拓の家へと戻る。
「どうだった?」
「うん……」
  縁側で、ぼんやりと何をするともなく外を眺めている私に、拓が話し掛けてきた。
「これから出かけないか?」
「え……?」
「ちょっとさ、見せたいものがあるんだよ」
「なあに?」
「まあ、仕度しろって、ほらほら」
「だって、もう日が暮れるよ……」
「いいから。この時間でないと意味がないんだよ」
  言われるままに急き立てられて、どこかへ連れていかれることになってしまった。こういうところはホントに強引だ。
「んじゃ、爺ちゃん行ってくるわー」

  珍しく拓のこぐ自転車の後ろに乗って裏山の道を駆け上がる。どうやら目的地はこの山一つ越えたところの隣村らしい。
「拓、こんなところまでどうして来てたの? 何しに?」
「んー、今のうちに島のいろんなところを見ておこうと思って」
「今のうち? それってどういう……」
「おっ、見えてきたぞ!」
  私の言葉をさえぎるように拓が叫んだ。

  山を降りきったところに川が流れている。そこに目的のものはあった。
  一つ……二つ……数え切れないくらい多い。薄暗がりのなかにぼんやりと浮かぶそれは、まるで星の光のように輝いていた。

「蛍……」

  こんなに多くの蛍は見たことが無い。点いたり、消えたりを繰り返しながら空を不規則に舞う蛍は、まるで現実でないように幻想的に感じられた。
  土手に座りながら、二人ともしばらく無言でその光を見続けていた。ふと、拓がつぶやく。
「たまたまさ、見つけたんだよ」
「ここに住んでるのってさ、僕たちだけじゃないんだよな」
「虫も、鳥も、花も、みんな生きてる。知ってっか? 蛍って、きれいな場所じゃないと、生きられないんだ」
「今まで、こんなにたくさん蛍を見たことがない。これって、やっぱ人がいなくなったからなんだよな」
「僕はさ、この島にとって人がいなくなったのはよかったんじゃないかって、思ってるよ」

  私は言った。
「でも……、それでみんな死んでよかったってことにはならないよ」
「それはそうだけど。でも僕は、この眺めが間違っているとも思えない」
「……後ろばっかり見てるなよ」
「……」
「前向かなきゃさ、歩けないんだぞ」
「拓……」
「うまく言えないけどさ、今のままじゃダメだ」
「……うん」
「僕が言っても、あんまり説得力ないかもしれないけど」
「そんなことないよ……うん、そうだね」

  こんなに心配をかけてたんだって今さらながらに気づく。そうだよね、私は先を見て生きてない。いきなりは、無理だけど、少しづつなら。気持ち次第で、明日は今日よりもいい日になるかもしれない。

  そんな風に思えた。